tabiyuki

忘れないように旅の記録をつけてます(古い思い出し記録も多い)

マルタ

【古い旅の備忘録】2023.1.9記

英語の語学留学してみたかった母が、ついでに観光も楽しめてゆったりしてるとこがいいという理由でマルタを選択。一人で行くのは不安だから同行を頼まれ、楽しそうだしいいよ~とふたつ返事ですべてを母に任せて着いていった。途中から父・姉・甥の3人が合流する手はずになっており、学校の期間が終わったら観光を数日して帰るプランだった。

2007.3.9

成田→関空→ドバイ→マルタ
乗り継ぎで初めて関空利用。夜9時くらいに発ってドバイには現地時間の深夜に着いた記憶だけど、不夜城だからどの店も開いてて賑わっていた。
マルタ国際空港からバスだかタクシーだか思い出せないけど、2時間ほどでスリマ(Sliema)という街に着き、一週間滞在するカールトン ホテルにチェックイン。
基本的にリゾートの島だけど、車窓から見えるFOR RENTやSALEの多さにあまり景気は良くないのかもなあと思った記憶がある。でもきれいな海と町並みで、いいとこだな〜と思った。時間気にせずまた行きたい。

ホテルは生活するには不便無いけど、シャワーの出は弱かった。バスタブ無しだったかも。今は多分この時より良くなってそう。
ここから一週間、母と英語学校EC Malta English Schoolへ通う。海沿いの道を歩いて15分くらいかな。それなりに歩いてたなと思う。
最初のクラス分けテストで、英語できなさすぎの私は母より2つくらい下のクラスに。私のクラスはドイツ人とポーランド人の5,60代男性との3人クラス。性年代が違い過ぎるから先生が話題に困っていた。ゴルフとかビジネスの話をすると私がわかんないしで。でも興味深かったのが、どちらの男性も自国の政治には不満があることだった。その時の私は日本よりヨーロッパの社会制度の方が単純に良いもののように思っていたので、それでもやっぱり不満はあるんだななんて思ってたんだけど、どっちがいいとかじゃなくそれぞれ問題点があるだろうし問題点が無いか常にチェックしていること、口にすることが必要なんだなと今は思う。
クラスでもまあ、出来が悪かったんだけど、その中でも印象的な自分のクセがあって、Yesの時もNoの時も頷く仕草をしてしまうことだった。「そうそう、Noです!」て感覚があって、頷いちゃうんだと思うけど、これ先生に言われるまで気付かなかったな。指摘してくれた先生が私はちょっと怖くて、若い男性の先生だったんだけど、たった一週間なのに通うのがだんだん辛くなったりした。50代くらいの女性の先生は優しくて好きだったんだけど笑
母のクラスはロシアとか色んな国の大学生の子とかが多かったらしく、社会問題についてのディベートとかしてたと言っていた。楽しかったみたい。母は当時仕事もまだしてる時だったので、英語に触れる機会も多かったかもしれないけど、ごはん作りながら英会話の音源聴いたり色々してたから偉いなって思う。勉強していると、楽しめることや触れられることが多くなるよね。

そんなわけで母とは対照的に、私にはそこそこ苦行で、こんなにきれいなエメラルドグリーンの海とそこで遊ぶ観光客たちを見ながらなんで私は苦痛な英語の授業をしに海沿いの道を通ってるんだろう……と後半の方は思っていた。何度も言うけど、たった一週間なのに根性なさすぎる。でも母が有意義に過ごせたならよかったかな。私はもっと事前に勉強頑張るべきでした。

これが、通ってた道からの景色。

ただ、学校に行ってる間は母も学校だけで疲れてるから夕飯をレストランに食べに行くとかそういう元気も無くて、帰り道にスーパーアルカディアでフルーツとかサンドイッチとかを買ってそれをホテルで二人でもそもそ食べていた。一度だけホテル近くのカフェで食べたけど、あんまりおいしくなかったのもあり、驚きのスーパー食の多さだった。スーパーに行くのは楽しかったからいいんだけど。

2007.3.15

父と姉と甥の3人がマルタに到着する。
なんか色々アクシデントがあったみたいで、ドバイ空港ですごく待たされて結局日本-マルタ間で24時間以上かかったんだったかな。私と母はまだ授業があったから最初のホテルに泊まってたけど、後発の3人はラディソン ブル リゾート、マルタ サン ジュリアンズに先に宿泊。記憶が定かじゃなくてウェスティンかなと思ってたけど父の記録によりホテルが判明した。
レンタカーを借りた父達と学校後合流して初めてスリマから出た。夕方になったけど、首都のバレッタ(Valletta)へ。
聖ヨハネ騎士団が築いた城塞都市で、建物がやっぱり良い。この日は街を歩き周った感じ。

日が落ちると街並みがまた素敵になる。


Caffe Cordinaで休憩して、スリマまで戻りそれぞれの宿へ帰る。夕飯どうしたかさっぱり思い出せない。

2007.3.16

父と姉たちはタルシーン神殿(Tarxien Temples)
に行ってたらしい。
私と母は学校最終日。学校後にまた車でバレッタへ出て、16世紀に貴族が住んでた大邸宅Casa Rocca Piccolaをガイドツアーで見学。

その後ゆっくり散策していたらエルモ砦の拝観時間が終わってしまった。でもオスマントルコヨーロッパ史に詳しくないとあんまりわからなかった感じだから、当時の自分が行ってもいまいちだったかもしれない。今なら知識入れて臨むけど。


港が一望できるLower Barrakka Gardensからの景色も素晴らしかったけど、軍籍の船がたくさん見えて、どうしても生理的に軍用のものへ拒否反応がある私はモヤっとしたのを覚えてる。この感覚の善し悪しは置いておくけど、同様の理由で横須賀に行った時もどうしてもだめだった。写真とかで見るのは多少平気だけど実物を見ると怖いのと嫌だなって気持ちが真っ先に来てしまって。マルタと関係ないけど、じゃあ刀は?てなるんだけど、あれに美術的側面が無かったら無理だったのかもしれない。あと時代的なもので、武器としての現実味が自分には無いからとか?話がさらに飛ぶけど、人殺しの道具である、ということが作中に出てくるから刀ミュのこと好きだなと思ってる。


夜はスリマまで戻って、初めて5人そろってディナー。
宿の近くの海にせり出したイタリアンレストランに入って、初めてマルタの食事がおいしかった。味付けはシンプルだけど、魚介の素材が美味しいからパスタも何もかもおいしくて、やっぱりおいしい食事をみんなで囲むと嬉しい~!てなったな。

で、2023年現在、写真に写り込んだ内装を頼りにネットの海でこの店を見つけたんだけど、Piccolo Padre、閉業していた……かなしみ。

2007.3.17

一週間過ごしたホテルをチェックアウト。
ホテルからの景色。


今日はイムディーナ ガラス工房(Mdina Glass,Ta'Qali)でマルタの吹きガラス作りを見る。ガラス作りって飴細工みたいできれいだな~。スワンのガラス細工を買った。



そこからマルタ最古の城郭都市、イムディーナ(Imdina)へ。「静寂の町」の名に納得するぐらい、静かでどこか物寂しい。それがまた良くもあったけど、もしかして曇りだったせいもあるかも。

ここでは聖パウロ教会のカタコンベ(St Paul's Catacombs)を見学。かなり広かったし、初めてカタコンベに入るのでドキドキしたなぁ。
母はお墓とか地下洞窟とか得意じゃないので、まだ小さかった甥っ子を連れて外でぷらぷらしていた。

博物館も行ったような気がするんだけど、写真が無いしGoogleMAP見てもピンとくるとこがないから気のせいかな。そしてまた夕飯をどうしたのかさっぱり思い出せない。
今日はやっと姉たちのいるホテルへ合流。リゾートホテルうれしい!お風呂が快適!

2007.3.18

ホテルの朝ごはんが大好きなはずなのに、どうにも朝ごはんの記憶が全然ない。こんな悲しいことがあるかい。
でもなんか、ぼんやり朝ごはんの風景は思い出してきたかもしれない。オーシャンビューの明るい広間だった気がするなあ。そりゃそうでしょうという立地なんで想像が膨らんでるだけかもしれない。

今日はみたびバレッタへ。朝市というか骨董市?みたいのを覗いた。バレッタへ行く日はいつもよく晴れて、すごく気持ちの良さそうな写真が撮れてる。

その後バレッタからちょっと内陸を走って、ハジャーイム神殿(Ħaġar Qim)へ。
今まで都市ばっかりだったけど、ここはハイキングできそうな感じの平原の景色。すごく気持ちがいい。
マルタには巨石神殿がいくつかあって、ハジャーイム神殿はそのひとつ。私が行った頃は神殿に風化防止の覆いはかかってなくて、本当に野原に神殿がドーンとある感じで、神秘的というよりなんかおもしろい感じだった。そんな姿で観られたのは貴重だったなと覆いがかかったのを見て思う。でも保存は大事だもんなぁ。海の傍だし、風化もしやすいのかもしれない。

今うちの庭には屈強なフェンネルが育ってるんだけど、野生の屈強なフェンネルが生えてるのはここで初めてみた。お化けフェンネル~!って思ったの覚えてるし今でもたまに話題に上がる。花も咲いてて、風も気候も気持ち良くて、この場所好きだったな。

海の方には青の洞窟的な場所があるらしいので行ってみたら、地元のおじさんに案内をされて最終的にはお金を要求されたので、ああ、そういうことあるんだったな、とちょっと苦い気持ちになったけど海外観光あるあるですね。まあ、しょうがない。

次の日は帰国日なので、この日はホテルでディナー。
マルタの名物料理はウサギ料理なので、一度は食べるかということで注文した。父は自分がうさぎ年なのでウサギが好きで、食べる気になれなかったのかパスしてた気がする。味の印象はあんまりなくて、特に食べにくいこともなく…という感じ。
ウサギ以外何を食べたかこれまた思い出せなくて、なんか悔しいのでやっぱり食事の写真も撮っておくと後で嬉しいんだよなーと思った。今ほど食事写真を撮っておく文化が無かったかも。

2007.3.19

帰国日。
帰りもドバイと関空乗り継ぎなので、不夜城ドバイでお土産物色などしてみる。こっちっぽい香りの香水を買ったけど、日常使いには癖が強かったから結局使わなかったな~笑 時間がたっぷりあったから飲食は少ししたかも。
夜だったので、飛行機から見下ろすドバイ空港は本当に不夜城できらきらしていて、わーさすが!!って思ったな。
3月20日に成田に着いて、お疲れ様。
いや〜いいところだったな。惜しいのは、あのきれいな海に入れなかったこと。入れる気温じゃなかったんだよね。欧米人は余裕で泳いでいたけど体感温度違うんだろうな。