tabiyuki

忘れないように旅の記録をつけてます(古い思い出し記録も多い)

大久野島→鞆の浦→福山→広島

2019年GW前半戦の記録。

父は兎年生まれという理由で、私が記憶する限りでずっとウサギ好きである。
おかげで昔から父にあげる誕生日などのプレゼントはウサギの入ったものを選ぶことが多い。かわいいモチーフだからあげる方としてもかわいくて嬉しいのが良かった。
そんな父企画で、ウサギの島であり第二次大戦中毒ガスを製造していた毒ガスの島でもある瀬戸内海の大久野島へ行った。私個人も主に毒ガス方面の理由でいつか行きたかった島である。

2019.4.27(土)

姉家族も一緒の大所帯。行きは新幹線で、たしか福山までのぞみで出て三原まではこだまに乗った。
キティちゃんコラボのかわいいこだまだった。
こだまってかわいい名前だなそもそも。

三原からは在来線に乗り換え。
この電車もGWだからなかなか混んでる。

海沿いの線路は、瀬戸内海だなーって景色で良い。造船関係の会社が立ち並んでいるので、電車からでも進水前の船がちらっと見えたりして興奮する。
乗り物全般好きだけど飛行機の次に船が好き。

大久野島への船が出てる忠海駅で下車。
当然ウサギ推しである。

駅から乗船場所へ行く途中にジャムでおなじみアヲハタの本社があり、ここにあるんだ…!と謎にびっくりする。最近は自家製ばかりだけど子どもの頃はよくアヲハタのジャム食べてたなあ。

海のすぐそばの単線の踏切…良い。

この船で渡ります。15分くらいだったかな。


大久野島には宿がひとつしか無いので、15時くらいに乗船した人々はだいたい同じ宿泊者。
下船後は無料送迎バスで宿へ向かい、宿からすぐとはいえ毒ガス資料館の閉館時間まであまり無いので荷物だけ置いて急いで出かけた。

資料館館内は撮影禁止だったのか、1枚も写真が無い。
駆け足で見ることになってしまったけど、行って良かった。
存在だけは知っていた、紙風船爆弾(名前からして正気か?と思うが正気じゃない)も大久野島で作られてたの初めて知った。障子紙とこんにゃく(こんにゃく糊使ってたから)がおかげで市場から消えたそう。
古い施設だと思うし、ウサギの島として推してるから訪れる人も多くはない。時間帯のせいもあったかもしれないけど。きちんとこれからも保存されることを願う。

拝観後は島をぐるり一周歩く。レンタサイクルもあるけどこの日は歩きたかった。
島のあらゆるところで自由に暮らすウサギたちはそれはもうかわいい。私もウサギが好きである。
だっこはダメだけど触っても大丈夫だし、ごはんをねだって足に手をタシタシしてくるのが本当かわいい。

このウサギ団子よ

伸びてる

うさぎダッシュとうさぎ穴

穏やかな瀬戸内海の島の晴れはとても気持ち良い。

毒ガス貯蔵庫跡や研究所跡。


施設を廃棄する時に最後に火炎放射器で中を焼いたので、内側が真っ黒。夜見たら恐いと思う。

芸予要塞時代の遺構も見られる。

フェリーの桟橋付近にある発電所跡が一番恐い感はあるかも。でも施設的には発電所なので恐い場所ではないが……


一周してホテルへ帰るとちょうど夕飯前くらい。
この島のホテルは休暇村だからメイン+ビッフェスタイルのファミリー向け。甥っ子たちはやっぱりこういう方が良いし、ビッフェで何持ってきたかを共有してワイワイする家なので家族旅の時は楽しいよね。

夜にも外に出てみたら、ウサギは夜行性だから活発に動いている。人のいない静かな海にすぐ出られて、でもそう寂しい景色じゃないのは瀬戸内海って感じだなあ、私のイメージの中での。

2019.4.28(日)

大久野島にさよならして、電車で尾道へ。
尾道に来たのは12年ぶり。駅がなんかすごい立派になってた!GWのイベントでよさこいやってて賑がすごかった。
我々の目的は尾道→靹航路クルーズ
乗船まで時間があったので、ONOMICHI U2を覗いて軽食を購入。
弱虫ペダルにはまってた頃しまなみ街道サイクリングしたくてここに泊まろうと思ってた。ちょっと日程諸々難しくてまだ実現してないけど、そのうち時間作って行きたいな。当時はレンタルと思ったけど今なら自分のロードバイク輪行が良いかも。

クルーズはあいにくの曇天だけど、船三昧で嬉しい!!常石の造船所は壮観。

小型船なので船長がずっと操縦しながらガイドしてくれるんだけど、独特の語り口でめちゃくちゃ楽しかったので、こっちに行く人がいたらぜひ乗ってみて欲しい。

鞆の浦に到着!

夕日のきれいなところだけど曇天なのでややもの寂しく見えるが、それもまたいい。
重文の太田家住宅は広くておもしろかった。
昔の日本家屋に入ることが好き。

色んなところに歴史は散らばっている(散らばってるというのはおかしい、どこにでもあって続いている)

夜に灯りが灯るととかく素敵に見えるもの。

夕日が海に落ちるのを見るのは難しい天気なので、やや疲れた面々は先に福山のホテルへ向かい、粘りたい私と姉のマリさんは残って高台にある寺や御屋敷を見たりして日が暮れるまで鞆の浦に居た。
真っ暗になってから路線バスで福山へ向かうのも、これまた好きな寂しさだった。自分の暮らしてない土地の夜に誰かの生活である路線バスに乗っていると、妙な寂しさというか、無いはずの郷愁にかられるのでそういう瞬間が昔から好きかもしれない。


福山のホテルに着いてから、これまた家族と別行動でマリさんと夕飯に出かけたら美味しい飲み屋を引き当てられたのですごい満足!どれもこれも美味しかった!!
焼きナスのとろろがけが最強って当時のTwitterに呟いてたけど写真も無ければどんな味かも思い出せなくて、とても悲しい。記憶がはかない。

2019.4.29(月・祝)

朝早起きして福山城まで上の姉と散歩した。
中の郷土資料館?も入って、ちょうど着物の展示をやってたので楽しかった。城の中身ってどこの城も似たりよったりだけど、色んな土地の郷土資料館見るのおもしろい。
本当はマリさんも行くはずだったのに多分あの人寝坊した。よく寝坊する。
私と姉が中の拝観終わって外に出た頃に城にやってきて外観だけ見ていた笑


今日は帰る日なんだけど、帰りは飛行機。
これは甥っ子たちが色んな乗り物に乗れて楽しいようにという我が父の気持ちゆえだが、私も飛行機が何より好きなので嬉しい。
帰る前に行くのはリニューアルしたばかりの原爆資料館

広島は雨。

原爆資料館ものすごく混んでいて、日本人も海外の人もたくさん雨の中並んでいた。もう少し落ち着いた頃の方がちゃんと見られたなとは思ったけど、人が来ないより全然良い。
ちょっと時間が足りなくて、後半の展示が案外しっかり見たそうなやつだったなと思ったのでまた行かなくては。
リニューアル前に行ったのは12年前だから、どんなだったか実はあまり覚えていなくて、記憶力の低下が本当に恐い。
今回遺品として展示されているものの中にあった一節で、「どうしてこんなことに…普通に暮らしてただけなのに」というようなのがあって(記憶が頼りなので正確ではない)、戦争は勝手にやってくるわけじゃなくて、起こそうとする人もいれば食い止めようと頑張った人も第二次大戦勃発前の日本にもいたわけで、現代の自分たちはそのことを知っていて欲しいと思ったりした。
野暮かもしれないけど、その展示にも戦争は誰かが起こそうとして起きるのだと資料館側からの意志として書いてあったらよかったのに…と少し思ってしまったのだ。
忘れっぽい私が4年経った今も憶えているのがこれなんだから、よほどその時印象に残ったんだろうなあ。


そうこうしてる間に広島空港へ行くバスの時間がぎりぎりで、バスターミナルへ早足で向かう。
なんとか間に合ったものの、空港へ向かうにつれて霧と雨がすごい。これフライトだいじょぶかいなと思ったけどなんとかなった!
空港では大好きな生もみじを買ったりなどして、さよなら広島👋


そして関東に戻って次の日から2日働き、GW後半は隠岐に行ったのでなんか交通費めちゃくちゃもったいない年だった!今の時代だったら広島に留まってテレワークしただろうに…!
でもなんか、その長い距離を行って帰ってビュン!するのも結構きらいじゃないんだよなあ。やってやった感がある。笑